京都洛西の観光スポット4 天龍寺など

京都洛西の観光スポット4

十輪寺(なりひら寺)(京都府京都市西京区大原野小塩町481)
『伊勢物語』で知られる在原業平が晩年隠棲したと伝えられ、境内にはその墓宝篋印塔が立つ。恋焦がれた二条后・藤原高子[たかいこ]が大原野神社に参拝した時、業平は塩を焼いて紫の煙を上げて、思いを伝えたという。その竈跡も残っており、毎年5月28日業平忌三弦法要、6月第3日曜聲明[しょうみょう]と三弦を聞く会、11月23日の塩がまきよめ祭では塩竈で火を焚き、参拝者を祈願する。本堂の屋根は、鳳輦[ほうれん]型というおみこしに似た珍しい造りだ。

常寂光寺(京都府京都市右京区嵯峨小倉山小倉町3)
小倉山の中腹にある名刹で、秋の紅葉の美しさでも知られている。静寂な寺の佇まいが天台四土の一つ常寂光土を思わせるところから、寺名となった。茅葺きの仁王門には運慶作と伝えられる仁王像が立っている。檜皮葺きの多宝塔(重要文化財)は、江戸時代の建築ながら華麗な桃山様式を伝えている。

神護寺(京都府京都市右京区梅ケ畑高雄町5)
開基は和気清麻呂。のちに唐から帰朝した空海も住持を務めた。その後荒廃したが、平安末期に文覚上人[もんがくしょうにん]が後白河法皇、源頼朝の寄進を受け復興させた。仏教美術の宝庫として知られ、金堂の本尊薬師如来立像(国宝)は、唇と眼だけに彩色を施した、厳しい表情の檜の一木造で、貞観時代の密教彫刻の傑作。多宝塔の本尊五大虚空蔵菩薩坐像(国宝)は、胡粉で全身彩色され女性的な優しさを漂わせる。地蔵院前庭からは眼下の錦雲渓に向け、かわらけ投げを楽しめる。

清凉寺(京都府京都市右京区嵯峨釈迦堂藤ノ木町46)
『源氏物語』の主人公光源氏のモデルとされる源融[みなもとのとおる]の山荘跡に阿弥陀堂を建てたのが始まり。嵯峨釈迦堂とも呼ばれる古刹。清凉寺式といわれる本尊の釈迦如来像(国宝)は、東大寺の僧、ちょう然が宋から招来したと伝える。目には黒水晶、耳に水晶をはめ込み、縄状の髪で、胎内には絹製の五臓六腑や経巻が納められた特異な様式。開帳料1000円で拝観することができる。4・5月、10・11月は特別公開(開帳料無料)。

退蔵院[妙心寺](京都府京都市右京区花園妙心寺町35)
室町時代の創建。妙心寺にあり、如拙[じょせつ]の描いた国宝の『瓢鮎図[ひょうねんず]』を所蔵していることで有名だ。方丈の西庭(史跡・名勝)は狩野元信作と伝え、絵画的な構成の枯山水の名庭。昭和作庭の池泉廻遊式「余香苑」では、滝のせせらぎ・水琴窟・筧の水と3つの水の姿が楽しめる。

滝口寺(京都府京都市右京区嵯峨亀山町10-4)
『平家物語』の遺跡として、昭和になって再建された寺。平重盛に仕え、宮中の滝口の侍になった斎藤時頼は、建礼門院に仕える横笛との結婚を望むが父に反対され、落胆のあまり出家。滝口入道と呼ばれた。それを知って訪れた横笛に会おうとはせず、高野山に入ったという。本堂に悲恋の2人の木像があり、参道には横笛の歌碑が立つ。

大覚寺(京都府京都市右京区嵯峨大沢町4)
真言宗大覚寺派本山。876年(貞観18)に嵯峨天皇の離宮を寺院に改めたもので、代々天皇や法親王が住持し格式を保ってきた。鎌倉時代には後嵯峨、亀山、後宇多上皇がここで院政をしき、嵯峨御所とも呼ばれた。回廊で結ばれた宸殿[しんでん]や御影堂などの御所風の建物に、武家風の明智門、明智陣屋が彩りを添える。宸殿(重要文化財)と正寝殿(重要文化財)をはじめ、襖絵116面(重要文化財)など多くの文化財を所有。なかでも、御所の紫宸殿を移築した宸殿の牡丹の間、紅梅の間の襖絵は狩野山楽が描いたもので、ひときわ豪華だ。

大心院[妙心寺](京都府京都市右京区花園妙心寺町)
創建は文明11年(1479)、明応元年(1492)の2説あり、室町幕府の管領を務めた細川政元が建立した。天正年間(1573〜92)に現在地に移転してから宿坊となっている。書院前にある枯山水庭園は、3つの石で三尊仏を表しているため、第2の本堂といわれる。4月下旬のキリシマツツジはみごと。宿坊があり人気を博している。

天龍寺(京都府京都市右京区嵯峨天龍寺芒ノ馬場町68)
1339年(延元4)に足利尊氏が後醍醐天皇の菩提を弔うために建立した、京都五山第1位の寺で、世界文化遺産。創建時は150余の塔頭を数えたが、8回の大火に遭い現在の諸堂は明治時代に再建されたもの。曹源池を中心に嵐山や亀山を借景とする池泉回遊式の庭園(史跡・特別名勝)は、開山の夢窓疎石[むそうそせき]の作。3段の石滝組などを配し、南北朝時代の禅院を代表する庭園だ。

等持院(京都府京都市北区等持院北町)
1341年(暦応2)、足利尊氏建立による足利氏の菩提寺。初代尊氏から15代義昭まで歴代将軍の木像(5、10代を除く)を安置する霊光殿がある。夢窓疎石の作と伝えられる庭園は、東の心字池と西の芙蓉池の2つによって構成されている。特に書院から眺める西庭は、衣笠山を借景とし、刈込みや枯滝組を配し、石橋を架けるなど凝った造り。

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京都洛西の観光スポット3 広隆寺など

京都洛西の観光スポット3

広隆寺(京都府京都市右京区太秦蜂岡町32)
秦氏の氏寺。秦河勝[はたのかわかつ]が聖徳太子から賜った仏像を奉じて、一宇を創建したのが起こりと伝わる。微笑をたたえた宝冠弥勒菩薩半跏思惟像(国宝)の美しさと気品は、息をのむほど。赤松の一本造で、朝鮮半島からの献上仏という説もある。宝髻[ほうけい]弥勒菩薩半跏思惟像(国宝)は、泣いたような表情から泣き弥勒と呼ばれる。ほかにも国宝・重要文化財の仏像を多数所蔵。赤堂と愛称される講堂(重要文化財)は、藤原末期の建築。

小督塚(京都府京都市右京区嵯峨天龍寺芒ノ馬場町)
『平家物語』で知られる小督を祀る小さな五輪塔。高倉帝に愛された小督は、中宮・徳子の父平清盛ににらまれ、嵯峨野のほとりに身を隠す。渡月橋の近くで奏でる「想夫恋[そうふれん]」の琴の調べで居場所が知れ、帝のもとに呼び戻されるが、結局は清盛によって出家させられ、追い出されてしまったという。

金蔵寺(京都府京都市西京区大原野石作町)
718年(養老2)、元正天皇の勅願で創建されたと伝える。平安遷都の際、王城鎮護のため都の四方に経典を埋めたが、その一寺として西岩倉山の号を賜った。平安後期には名刹として知られ、『今昔物語集』にも描かれている。応仁の乱で兵火にあったが、貞享年間(1684〜88)桂昌院の寄進によって現在の本堂・開山堂などが再建された。

西明寺(京都府京都市右京区梅ケ畑槇尾町1)
神護寺から清滝川沿いに約15分歩き、朱塗りの指月橋を渡った所に立つ。天長年間(824〜833)に空海の弟子智泉が、神護寺の別院として創建。現在の堂宇は徳川5代将軍綱吉の生母桂昌院[けいしょういん]の寄進で再建されたといわれている。本堂に安置された本尊木造釈迦如来立像(重要文化財)は、生前の釈迦の姿を伝えるとされる「清凉寺式」で、像高約52cm。高山寺を再興した明恵上人[みようえしょうにん]が自刻したという。脇に祭られている千手観音立像(重要文化財)は藤原時代の作。

三鈷寺(京都府京都市西京区大原野石作町1323)
善峯寺境内の北続きの山腹にある。1074年(承保元)、源算上人が往生院として開山。のちに西山上人(証空)が浄土宗西山派の念仏道場とし、背後に連なる山並みが仏器の三鈷杵に似ていることから、三鈷寺と改称。天台・真言・律・浄土の四宗を兼学する勅願所として栄えたが、応仁の乱後衰微した。華台廟には西山上人と百人一首の成立に関わった宇都宮頼綱(蓮生)を祀る。本堂前から北東方に見下ろす市街の眺望は雄大で見事。古くから二大仏七城俯瞰の地と言われている。

周山街道(京都府京都市右京区・京北町)
周山街道(国道162号)は、京都御室仁和寺前から京北町周山へ続く道。昔、「畑の姥[うば]」と呼ばれた梅ケ畑の女性は、梯子や鞍掛けなどを頭上に載せ、この街道から市中に入り、品物を売り歩いた。街道沿いには紅葉がすばらしい高雄、槇尾、栂尾の三尾があり、さらに進むと道は北山杉の美林の間を抜け、山里の風景を満喫できる。また、北山杉の里と呼ばれる中川集落では、北山磨丸太を立て干しした光景も見ることができる。さらに北へ、笠峠を越えると木と清流の里京北町だ。中心部の周山にはウッディー京北などのスポットがあり、桜で名高い常照皇寺などの歴史遺産も点在する。

勝持寺(京都府京都市西京区大原野南春日町1194)
役行者が開き、最澄が再興したが、852年(仁寿2)に勝持寺と改名したと伝える。西行がここで庵を結び1株の桜を植えて吟愛したことから、この桜を「西行桜」と呼び、以後「花の寺」と親しまれるようになった。春は境内が桜で覆われる。本尊に薬師如来像(重要文化財)を祭り、近年まで預かっていた如意輪観音半跏像(国宝)は、東隣の願徳寺(料金:300円、2月のみ要予約)で拝観できる。

直指庵(京都府京都市右京区北嵯峨北ノ段町3)
大覚寺から北へ少し足を延ばした所にある小さな庵。江戸時代初期に結ばれた草庵が荒廃していたのを、幕末に近衛家の老女村岡局が再興した。境内は四季折々の花が楽しめ、静けさのなかで人々の心が癒される寺として知られる。仏前に置かれたノート『想い出草』には、訪れる人々の恋や仕事などの悩み・迷いがびっしりと綴られ、境内にはこのノートにちなんで想い出観音像も祀られている。

地蔵院(京都府京都市西京区山田北ノ町23)
足利義満の補佐役だった細川頼之が夢窓国師の高弟宗鏡禅師に帰依して創建した禅寺。4000坪の境内の半分が竹林に覆われていて、竹の寺と呼ばれている。本堂北の方丈からは、杉苔の中に16個の自然石を配し、それを十六羅漢に見立てた平庭式枯山水庭園が観賞できる。

地蔵院(椿寺)(京都府京都市北区大将軍川端町)
726年(神亀3)に行基が創建。北野大茶会のとき宿となったこの寺に、豊臣秀吉が寄進したという五色八重散椿で知られる。花びらがひとひらずつ散る姿から、散り椿の名があり、現在は樹齢約120年の第二世が本堂前庭で赤、白、ピンクなど五色の花をつける。見ごろは3月下旬〜4月初旬。洛陽三十三観音霊場、第三十番札所。

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京都洛西の観光スポット2 華巌寺(鈴虫寺)など

京都洛西の観光スポット2

桂離宮(京都府京都市西京区桂御園)
もとは八条宮家の別荘として江戸初期に造営された。完成に35年余りを費やし、竹やぶに囲まれた5万6000平方mの敷地には、苑池を設け、松琴亭、賞花亭などの茶亭や書院を配している。庭園と建築の総合美は、世界的に知られる。参観は許可制。

京都市洛西竹林公園(京都府京都市西京区大枝北福西町2-300-3)
洛西ニュータウンにある世界でも珍しい竹専門の公園。5000平方mの敷地には、竹・笹類についての資料館、生態園、子どもの広場などがある。資料館ではエジソンが約125年前に京都・八幡のマダケをフィラメントに使った電球の復元、竹製品の実物やパネル、京都の銘竹、東南アジアの珍しい竹などを展示している。元々うっそうと竹林が続く地であり、生態園では全国各地の竹や笹、約110種が植えられている。

京都府立堂本印象美術館(京都府京都市北区平野上柳町26-3)
日本画家・堂本印象の絵画を中心に、彫刻、陶芸などの作品2100点を収蔵。日本画の枠を越えた多彩な作品は一見の価値あり。建物も印象によるデザイン。

錦雲渓(京都府京都市右京区嵯峨清滝)
清滝川渓谷は紅葉の名所として知られ、清滝を起点に高雄までは錦雲渓、下流の落合までは金鈴峡と呼ばれている。整備された川沿いの道は東海自然歩道に指定され、ハイキングコースとして親しまれている。錦雲渓は約4km(約1時間)で、紅葉のほかに桜や藤、新緑などが楽しめる。

金鈴峡(京都府京都市右京区嵯峨清滝)
清滝川渓谷は紅葉の名所として知られ、清滝を起点に高雄までは錦雲渓、下流の落合までは金鈴峡と呼ばれている。整備された川沿いの道は東海自然歩道に指定され、ハイキングコースとして親しまれている。金鈴峡は約1.5km(約30分)で、紅葉のほかに桜や藤、新緑などが楽しめる。

祗王寺(京都府京都市右京区嵯峨鳥居本小坂町32)
奥嵯峨の竹林の中にひっそりと佇む『平家物語』ゆかりの寺。仏御前の出現で平清盛の愛を失った白拍子の祇王が、母、妹と尼になってここに移り住んだ。後に仏御前も尼になり、ともに晩年をすごしたという。本堂には、大日如来、清盛と4人の像を安置。影が虹色に映る吉野窓も見もの。

ギャラリー墨(京都府京都市右京区梅ケ畑殿畑町13)
清滝川に面して立つ、水墨画家・田中應吉のギャラリー。1階では水墨画でデザインしたネクタイや着物などを販売。2階は喫茶室で、コーヒー400円を飲みながら休憩できる。

車折神社(京都府京都市右京区嵯峨朝日町)
平安末期の儒者、清原頼業[よりなり]を祭る。同社にある祈念神石を持ち帰って願い事を祈願し、成就したら祈念神石に御札の石を添えて奉納する習慣がある。商売繁盛、売掛金の回収、受験合格に御利益がある。境内の芸能神社には、芸の上達を祈る現代の芸能人の玉垣が数多く並んでいる。

桂春院[妙心寺](京都府京都市右京区花園寺ノ中町11)
江戸初期創建の妙心寺の塔頭。ツツジの大刈込が美しい南庭と苔が見事な東庭など、創建時の枯山水庭園(史跡・名勝)がある。三畳台目で草庵風の茶室既白庵[きはくあん]は近江長浜城から移築されたものだ。

華巌寺(鈴虫寺)(京都府京都市西京区松室地家町31)
1723年(享保8)鳳潭上人が華厳宗再興を願って創建。飼育された鈴虫が一年中鳴くことから、別名鈴虫寺と呼ばれる。山門横に立つ草鞋を履いた幸福地蔵は、一つだけ願いを叶えてくれるという。

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京都洛西の観光スポット1 池大雅美術館など

京都洛西の観光スポット1

愛宕神社(京都府京都市右京区嵯峨愛宕町)
京都人に「あたごさん」の名で親しまれている。老杉に囲まれた愛宕山の山頂にあり、僧泰澄と役小角によって大宝年間(701〜704年)に神廟が開かれたのが始まりと伝わる。祭神の伊邪那美命[いざなみのみこと]の子、迦倶槌命[かぐつちのみこと]が火の神なので、防火鎮火の神として尊ばれている。7月31日夕刻〜8月1日早朝の参詣は、千日詣と呼ばれて1日で千日分の功徳があるといわれる。

化野念仏寺(京都府京都市右京区嵯峨鳥居本化野町17)
化野と呼ばれるこの一帯は、かつて亡骸を葬る風葬の地だった。寺の起こりは、弘法大師がこの地に葬られた死者の菩提を弔うために寺を建てたことによる。のちに法然上人が念仏道場に改め、念仏寺と称した。境内には、釈迦の説法に耳を傾ける人々の姿になぞらえて、無縁仏となった約8000体もの石仏や石塔が並ぶ。

嵐山ハイブリッド美術館(京都府京都市西京区嵐山東一川町)
築70年の日本家屋を芸術家榎本兄弟が改築し、美術館として開館。常時20点ほどある絵は、反戦や核兵器廃絶を題材に自然環境や命の尊さを伝えたり、黒人文化を軸に人間の内面世界を表現している。きものレンタル着付の店・遊月もあり、きものに着替えて京都散策もできる。着物の持ち込み可(着付けのみ3000円〜)。

池大雅美術館(京都府京都市西京区松尾万石町57)
江戸中期の文人画家・池大雅の若年より晩年までの作品を所蔵、50数点を常時展示する。大雅は、柳沢淇園[きえん]、祇園南海らに師事し、与謝蕪村と並び日本南画を大成させたといわれる。絵画『山関石崖図[さんかんせきがいのず]』などのほか、『和様尺牘文範[わようせきどくぶんぱん]』などの書も鑑賞できる

梅宮大社(京都府京都市右京区梅津フケノ川町30)
桂川の東岸にある。橘氏の氏神として綴喜郡井手町[つづきぐんいでちょう]に祭られたものを、檀林[だんりん]皇后橘嘉智子が現在の地に移し、皇子の誕生を祈願したところ、のちの仁明天皇を懐妊したという。以来子授・安産の神として尊ばれ、本殿東のまたげ石をまたいだり、産土を受ける風習がある。本殿に酒解[さかとけ]神、酒解子神などを祭り、酒造の神として信仰を集める。神花として梅が約600本植えられており、カキツバタも有名。

大河内山荘(京都府京都市右京区嵯峨小倉山田渕山町)
丹下左膳役で有名な昭和初期の俳優、大河内伝次郎の別荘。小倉山[おぐらやま]の山裾の起伏を利用して、桜や楓、松などを植え込んだ広大な庭は趣が深い。展望台からの眺望もよく、園内の静雲亭でミニ懐石などの食事も楽しめる(要予約)。

大沢池[大覚寺](京都府京都市右京区嵯峨大沢町)
大覚寺が嵯峨天皇の離宮だった時代に、その林泉として造られたもの。周囲約1kmの池の堤には、桜や楓、松が植えられ、池の中には天神島と菊ケ島が浮かぶ。北には、百人一首の藤原公任[ふじわらきんとう]の歌で知られる名古曾[なこそ]の滝跡とする滝組跡も残る。古来、観月の名所としても知られる。

大原野神社(京都府京都市西京区大原野南春日町1152)
784年(延暦3)長岡京遷都にあたり、藤原氏出身の皇后が、奈良にある氏神の春日大社まで参拝する不便を除くため創建したことに始まる。平安遷都後の850年(嘉祥3)、左大臣藤原冬嗣の奏請によって現在地に祭られた。社殿は春日大社と同じ檜皮葺き、丹塗りの春日造になっている。4棟が連なる本殿は慶安年間(1648〜52)に後水尾天皇が造営。境内には猿沢池に擬して鯉沢池もある。

愛宕念仏寺(京都府京都市右京区嵯峨鳥居本深谷町2-5)
本尊は千手観音。平安時代から厄除けの観音様として厚く信仰されている。春はシャガ、秋は紅葉の羅漢寺として親しまれているこの寺には、境内に1200鉢もの表情豊かな石造の羅漢さんが並び、訪れる人々の心を和ませてくれる。嵯峨野めぐりにはここを出発点とする「嵯峨野散策モドルコース」がおすすめ。「清滝行き」の京都バスに乗れば、嵐山周辺からの上り坂も楽々。後の見所は全て下り坂コースになるので帰り道も安心。ここが嵯峨野めぐりの始発点だ。

乙訓寺(京都府長岡京市今里3-14-7)
開創は推古天皇(592〜626)のころといわれ、乙訓地方きっての大寺であった。藤原種継[たねつぐ]暗殺事件に連座した早良[さわら]親王を、兄の桓武天皇が幽閉した所としても知られる。応仁の乱で荒廃したが、1695年(元禄8)桂昌院の援助で再興した。「幽愁の毘沙門天」との異名がある像高1mの立像は国の重要文化財。手入れの行き届いた境内は白モクレン、桜と花が美しく、4月末には約2000株のボタンが咲く。

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北野天満宮で「ずいき祭」10月1〜5日

秋の収穫と五穀豊穣(ごこくほうじょう)に感謝する北野天満宮(京都市上京区)の「ずいき祭」が10月1日から5日まで行われる。
 
紅羊羹(ようかん)北野の杜

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初日の神幸祭では午後1時から、3基の鳳輦(ほうれん)が御旅所(中京区西ノ京御輿岡町)までの約4キロを華やかに練り歩く。4日の還幸祭では午後1時から、御旅所から同天満宮まで、ズイキで屋根をふき、30種の野菜や乾物で飾り付けられたずいきみこしが巡行する。北野天満宮TEL075(461)

北野天満宮(きたのてんまんぐう)は京都市上京区にある神社である。通称、天神さん・北野さん。旧社格は官幣中社、二十二社。京都市民からは「てんじんさん」の愛称で呼ばれる。

毎月25日に縁日が開かれ、多くの参拝者や観光客で賑わう。菅原道真を主祭神とし、特に学問の神として知られ多くの受験生らの信仰を集めている。京都市が大学の町であることもあってか、掲げられている絵馬には、大学受験合格を祈願するものが多い。福岡県の太宰府天満宮とともに天神信仰の中心となっており、当社から全国各地に勧請が行われている。

延喜3年(903年)、菅原道真が無実の罪で配流された大宰府で歿した後、都では落雷などの災害が相次いだ。これが道真の祟りだとする噂が広まり、御霊信仰と結びついて恐れられた。そこで、歿後20年目、朝廷は道真の左遷を撤回して官位を復し、正二位を贈った。天慶5年(942年)、右京七条に住む多治比文子(たじひのあやこ)という少女に託宣があり、5年後にも近江国の神官の幼児である太郎丸に同様の託宣があった。それに基づいて天暦元年6月9日(947年)、現在地の北野の地に朝廷によって道真を祀る社殿が造営された。後に藤原師輔(時平の甥であるが、父の忠平が菅原氏と縁戚であったと言われる)が自分の屋敷の建物を寄贈して、壮大な社殿に作り直されたと言う。

京都洛中の観光スポット7 先斗町など

京都洛中の観光スポット7

本隆寺(京都府京都市上京区智恵光院通五辻上ル)
室町時代に日真上人[にっしんしょうにん]が開いた法華宗真門流の本山。広い境内に本堂、祖師堂、方丈、鐘楼などの伽藍と、8つの塔頭がある。西陣が一夜にして灰燼に帰した西陣焼けや天明の大火にも本堂が焼け残ったので、不焼寺[やけずのてら]という異名もある。本堂には鬼子母神が祭られていて、安産祈願に訪れる人が多い。葉を枕の下に敷くと子供の夜泣きが止むという「夜泣止めの松」も有名。寺のある紋屋町には、西陣らしい雰囲気が残っている。

先斗町(京都府京都市中京区)
四条通から三条通の1筋南まで、鴨川に沿って続く細い通り。祇園と並ぶ花街として知られ、お茶屋や料理屋が通りの両側に立ち並ぶ。最近は気軽に利用できる飲食店も増え、若者の姿も多い。

壬生寺(京都府京都市中京区坊城通仏光寺北入ル)
平安時代、園城寺(三井寺)の僧が、母の供養のために地蔵菩薩像を安置したのが始まりとされる。本堂は1970年(昭和45)の再建。境内には保育園や老人ホームが立つ庶民的な寺だ。坊城通に面した表門を入って右側の壬生塚には、新選組隊士の墓や近藤勇の胸像がある。

妙蓮寺(京都府京都市上京区寺ノ内通大宮東入ル)
1294年(永仁2)に創建された本門法華宗の大本山。天明の大火で焼け残った鐘楼は数少ない本格的袴腰型鐘楼で、江戸時代を代表する建造物だ。松尾一切経や長谷川等伯一派の襖絵(重要文化財)、本阿弥光悦の書など多くの文化財を所蔵。「十六羅漢の庭」と呼ばれる石庭もある。毎月12日にはフリーマーケット「楽市楽座」が開かれ、人々で賑わう。

元離宮二条城(京都府京都市中京区二条通堀川西入二条城町541)
関ケ原の戦いで勝利した徳川家康が、上洛の際の宿泊所として1603年(慶長8)に築城。後に3代将軍家光が大改修し、現在のような規模となった。堀を巡らし石垣に囲まれた広大な城内は、二の丸御殿(国宝)、本丸御殿(重要文化財)、二の丸庭園(特別名勝)などからなり、豪壮な外観に反して内部はきらびやかさに満ちている。二の丸御殿の障壁画(重要文化財)は狩野派の作で、松鷹図などがよく知られる。本丸御殿は京都御苑内にあった旧桂宮家の御殿を移築。

矢田寺(矢田地蔵尊)(京都府京都市中京区寺町通三条上ル)
三条通を上った所にある矢田寺は、奈良・矢田寺の元別院。本尊の地蔵菩薩は諸願成就にご利益があるとされる。8月16日の五山の送り火に合わせ、精霊を冥土へ送る「送り鐘」を撞く寺として有名だ。

頼山陽書斎山紫水明処(京都府京都市上京区東三本木通丸太町上ル)
江戸後期の儒学者・頼山陽が晩年に住んだ書斎。鴨川に面して窓から東山を望めたので、「山紫水明処」と名付けたという。藁葺き、平屋の簡素な佇まいだ。見学は事前に申込みが必要。往復はがきに見学日時(第2希望まで記入)、人数、電話番号、代表者の住所、氏名を明記し、〒605-0063東山区新門前松原町289 頼山陽旧跡保存会へ2週間前までに申し込む。

樂美術館(京都府京都市上京区油小路中立売上ル)
樂焼400年の伝統を伝える樂家・初代長次郎から15代吉左衞門までの作品を中心に、樂焼陶芸作品や茶道工芸品などを展示している。樂焼は、初代が千利休の創意によって侘び茶のための茶碗を作るようになったのが始まりとされる。ろくろを使わず、手びねりで形成し、吹子の付いた窯で一碗ずつ焼く技法が特徴。

羅城門跡(京都府京都市南区唐橋羅城門町)
平安京を貫く朱雀[すざく]大路の正門として、794年(延暦13)の平安遷都の際に建造された丹塗りの楼門があった場所。980年(天元3)の暴風雨で倒壊し、その後平安京の衰退とともに荒廃した。その様子は『今昔物語集』や、芥川龍之介の小説『羅生門』にも描かれている。現在は児童公園の中に石碑が立つのみ。

廬山天台講寺(廬山寺)(京都府京都市上京区寺町通広小路上ル)
938年(天慶元)に元三[がんさん]大師によって船岡山に創建されたが、1571年(元亀2)に織田信長の焼き討ちを免れて現在地に移った。代々皇室の帰依が厚く、本堂は光格天皇の勅命により仙洞御所の一部を移築されたもの。紫式部の邸宅跡としても知られ、「源氏の庭」には紫色のキキョウが咲く。節分の日に、3匹の鬼が剣や斧、槌をもって踊り、追儺使[ついなし]が紅白の豆を投げて鬼を追い払う、「鬼の法楽」[おにのほうらく]が有名。

京都市 河原町・烏丸・四条大宮周辺 でぜひ宿泊して欲しい素敵な宿泊施設です。
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京都洛中の観光スポット6 西本願寺など

京都洛中の観光スポット6

西陣(京都府京都市上京区)
足利将軍家の継承問題を巡り、1467年(応仁元)に起こった応仁の乱。堀川より東に本陣を構えた細川勝元の東軍に対し、西軍は山名宗全の屋敷付近に本陣を置いた。これが西陣という地名の始まりとなった。機業の発展とともに範囲が広がり、現在の西陣は、およそ東は堀川通、西は西大路通、南は丸太町通、北は北大路通のほぼ3km四方の広い地域。個性的な建物も増えてきたが、糸屋町と呼ばれた大宮通や今出川通から北の紋屋町、南の笹屋町通は往時の面影を残している。

西陣織会館(京都府京都市上京区堀川通今出川下ル)
華麗な着物ショーや伝統の技光る職人の実演、歴史的史料の展示など西陣織の魅力に触れることができる。前日までに予約をすれば、小紋での市内観光や舞妓・芸妓・十二単体験、西陣ならではの手織体験(ともに有料)が楽しめる。産地直送ショップも充実。

西本願寺(京都府京都市下京区堀川通花屋町下ル)
浄土真宗本願寺派の本山。親鸞聖人の廟を東山大谷に建てたのが始まりで、1591年(天正19)豊臣秀吉の寄進で現在地に移転。1617年(元和3)の火災で諸堂を焼失し、伏見城や聚楽第から移築されたという、秀吉ゆかりの建造物が華麗な桃山文化を偲ばせる。御影堂[ごえいどう](重要文化財)には、親鸞の荼毘の灰を漆にまぜて塗ったと伝わる坐像を安置(現在堂を修復中)。天井や障壁画の絢爛な装飾で知られる書院(国宝)には203畳の対面所、虎渓の庭(史跡・特別名勝)、1581年(天正9)建立の日本最古の能舞台(国宝)がある。

二条陣屋(京都府京都市中京区大宮通御池下ル137)
上洛の際、滞在する屋敷を持たない大名のために、江戸初期に建てられた陣屋(宿舎)。大名の安全を確保するため、大広間の天井に武者溜[むしゃだまり]を設けたり、隠し階段などが随所に隠されていたりする数寄屋造りが特徴的。防火設備も見事で、1788年(天明8)の大火でも無事だった。主屋と土蔵が重文指定。見学は高校生以上で、申込みが必要。電話または往復はがきで、〒604-8316 京都市中京区大宮通御池下ル 小川平太郎氏まで。所要1時間。

宝鏡寺(人形の寺)(京都府京都市上京区寺ノ内通堀川東入ル)
百々御所[どどのごしょ]とも呼ばれた門跡寺院。代々の内親王が住持となっている。光格天皇から賜った多数の人形や双六、投扇、貝覆などの遊戯具を所蔵。人形の寺ともいわれる。春と秋には、皇室から贈られた人形などの寺宝を公開する人形展を開催。境内には人形塚があり、10月14日は人形供養祭が行われる。

本能寺(京都府京都市中京区寺町通御池下ル下本能寺前町522-1)
織田信長が明智光秀に討たれた寺として知られているが、当時は四条西洞院にあった。1587年(天文15)、現在地に移転。境内には信長の供養塔も立つ。

本法寺(京都府京都市上京区小川通寺ノ内上ル本法寺前町617)
室町中期、「なべかむり日親[にっしん]」といわれた日親上人が開いた日蓮宗の古刹。上人が将軍足利義教に正法によって政治をせよと迫ったため、義教の逆鱗にふれ、灼熱した鍋を頭にかぶせられるという拷問にあった。さらに投獄にも耐えた上人に帰依する者は多く、本阿弥家の菩提寺ともなった。本堂、仁王門、開山堂、多宝塔などの堂宇は天明の大火後、1797年(寛政9)に再建。書院前の巴形の島を配した三巴[みつどもえ]の庭(名勝)は、本阿弥光悦作の桃山時代風の豪放な庭園だ。長谷川等伯作の仏涅槃図(重要文化財)も所蔵。

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京都洛中の観光スポット5 寺町通など

京都洛中の観光スポット5

高瀬川(京都府京都市中京区一之船入町)
夜に賑わう木屋町通と並行して流れている川で、森鴎外の『高瀬舟』で有名。慶長年間(1596〜1615)、豪商・角倉了以[すみのくらりょうい]が大坂との物資輸送のために開いた全長10kmの運河で、二条から伏見を経て宇治川に合流する。高瀬舟を使った物資流通は江戸時代に繁栄を極めたが、1920年(大正9)には交通機関の発達により舟運が途絶えた。往時の面影を知るには木屋町二条にある一之船入跡[いちのふないりあと](史跡)へ。掘割には、復元された全長11.3m、幅2.3mの十五石積の高瀬舟が係留されている。

大光明寺[相国寺](京都府京都市上京区今出川通烏丸東入ル相国寺門前町701)
相国寺内にある。暦応2年(1339)後伏見天皇皇后広義門院が、伏見に創建した伏見家菩提所で、徳川家康が再建。足利9代将軍義尚の墓がある。

大報恩寺(千本釈迦堂)(京都府京都市上京区今出川通七本松上ル溝前町)
1227年(安貞元)、藤原秀衡の孫である義空上人によって開創され、本尊釈迦如来坐像を安置したことに始まる。正式には大報恩寺というが、創建当初から千本釈迦堂の名で親しまれてきた。本堂(国宝)は、応仁の乱で諸堂が焼失したなかでも残った洛中最古の木造建造物。建造時に夫である棟梁のミスを助けたあと、秘密を守るため自刃した「おかめ伝説」が残り、境内にはおかめ塚やおかめ像がある。霊宝館には快慶作の十大弟子立像(重要文化財)、定慶作の六観音像(重要文化財)、千手観音像(重要文化財)などを安置。12月7・8日の大根焚きは京都の冬の風物詩だ。

茶道資料館(京都府京都市上京区堀川通寺ノ内上る 裏千家センター内)
年4〜5回、茶道具や茶の湯に関する美術工芸品の企画展を開催。展示室(1・2階)は広くすっきりとしており、特に2階には裏千家の代表的な茶室「又隠[ゆういん]」(重要文化財)のうつしが設けられ、茶室内を見ることができる。また、茶道に関する図書を収蔵する今日庵文庫を併設。入館者には呈茶があり、展示を鑑賞した後には抹茶を一服楽しめる(10〜16時)。展示期間中のみ、講師の指導のもと自分で抹茶を点てることもできる(10・11・13・14・15時から1回約1時間20名迄、1週間前までに要電話予約)。

寺町通(京都府京都市中京区寺町通)
寺町通は、新京極の1筋西を五条通から鞍馬口通まで南北に延びる通り。新京極の発展に伴って商店街が形成されてきたが、本来は各宗派の寺院が通りの東側に立ち並んでいた。桃山時代、豊臣秀吉が進めた京の都市改造の一環として、洛中の寺院、なかでも民衆の心をとらえていた浄土宗、日蓮宗、時宗の寺が強制移転させられたからだ。近年再移転が進んで数は少なくなったものの、現在も主に三条通から丸太町通にかけて多くの寺が残る。仏具や筆墨、和菓子などの老舗も多く、歴史に思いを馳せながら歩いてみたい。

同志社大学(京都府京都市上京区今出川通烏丸東入ル)
1875年(明治8)、日本人として初めて欧米の高等教育機関から学位を取得した新島襄によって、「同志社英学校」として創立。当初、教師は創立者の新島と宣教師J・D・ディヴィスの2人、生徒は8人だった。現在はキリスト教主義による教育を行う総合大学として、京田辺市にもキャンパスをもつ。構内の赤レンガ造りの彰栄館、有終館、アメリカンゴシック建築の礼拝堂、クラーク記念館、ハリス理化学館の5棟が国の重要文化財。アーモスト館と啓明館は登録文化財に指定されている。

梨木神社(京都府京都市上京区寺町通広小路上ル)
1885年(明治18)創建。明治維新に功績のあった、三條実万[さねつむ]・実美[さねとみ]親子が祭神。御苑の東にある清和院門前から、参道が北に延びる。萩の名所としても名高く、長い参道や境内に萩が咲き乱れる9月中〜下旬には萩まつりが催される。境内には上田秋成と湯川秀樹の歌碑、有名な京都三名水の一つ「染井」もある。

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京都洛中の観光スポット4 新京極など

京都洛中の観光スポット4

新京極(京都府京都市中京区)
京都随一の繁華街・河原町通の1筋西、四条通から三条通の南北550mのアーケード街。みやげ物店や映画館、飲食店などが軒を連ね、人通りが絶えない。1872年(明治5)、東京遷都で活気をなくしていた京都を盛り上げようと、歓楽街を造ったのが始まり。それ以前は秀吉の区画整理による門前町だった。その名残である寺が近くにある

神泉苑(京都府京都市中京区御池通神泉苑町東入ル)
平安京造営の際に禁苑として造営された。当時は南北400m、東西200mに及ぶ広大な庭園で、皇族が舟遊びや狩猟を楽しんだが、鎌倉時代以降に荒廃。さらに家康の二条城築城で大部分を削られたが、明治になって真言宗の道場として再興された。苑内中央の放生池は禁苑にあった大池の一部といわれ、池中の島には、かつてこの場所で行われたという雨乞い伝説を伝える善女龍王を祀る。

角屋もてなしの文化美術館(京都府京都市下京区西新屋敷揚屋町32)
江戸時代に公家や豪商のサロンとして華やかな饗宴が催された、島原の揚屋[あげや]の建物を保存公開する。1641年(寛永18)に建てられ、内部に数寄屋造を採り入れた木造2階建の町家で、台所と座敷がある1階では与謝蕪村筆『紅白梅図屏風』(重要文化財)など所蔵品を展示。予約すれば表2階と奥2階の座敷が見学できる。

誓願寺(京都府京都市中京区新京極通三条下ル桜之町453)
新京極にある飛鳥時代の創建という古刹。もとは奈良にあったが平安遷都で京都へ移り、その後秀吉の区画整理で現在地へ移転した。謡曲『誓願寺』の中で、和泉式部が「歌舞の菩薩」となって現れることから芸道上達祈願のお寺として信仰を集める。また、五十五世住職・安楽庵策伝上人は『醒睡笑[せいすいしょう]』八巻を著したことにより「落語の祖」と称される。門前に「迷子のみちしるべ」と呼ばれる石柱が立つ。

誠心院(京都府京都市中京区新京極通六角下ル中筋町487)
新京極にあり、藤原道長が和泉式部のために建てた小御堂が始まり。境内北側の墓地に高さ4mの和泉式部供養塔がある。

晴明神社(京都府京都市上京区堀川通一条上ル)
平安時代には朝廷行事から貴族の私事に至るまで、物事の吉凶が陰陽道によって占われていた。晴明神社はその時代に大活躍した陰陽師、安倍晴明を祭る神社だ。提灯や絵馬などに描かれている星形の紋所は、晴明桔梗紋ともいわれる五芒星[ごぼうせい]。現代でも、何かを始めようというときの吉凶や姓名判断を占いに訪れる人が絶えない。

仙洞御所(京都府京都市上京区京都御苑)
仙洞とは上皇の御座所のこと。後水尾、霊元、中御門、桜町、後桜町、光格6上皇が居住したが、1854年(嘉永7)に類焼。建物は再建されることなく、現在は小堀遠州が築いた庭園だけを残す。南池、北池を抱え、巨石、滝組、橋を配した庭園美をみせている。

染殿地蔵院(京都府京都市中京区新京極通四条上ル)
新京極にあり、染殿皇后が本尊の地蔵菩薩に祈ったところ、のちの清和天皇が誕生したという寺伝から、安産守護の信仰を集める。染色関係者の参拝も多い。

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京都洛中の観光スポット3 紫雲山頂法寺(六角堂)など

京都洛中の観光スポット3

行願寺(革堂)(京都府京都市中京区寺町通竹屋町上ル行願寺門前町17)
革堂の名で知られる。山中で鹿を射殺したのを悔いて仏門に入った開基の行円上人が、常に鹿革をまとっていたことに由来。現在は西国三十三カ所第19番霊場として信仰を集め、宝物館にはその革衣や幽霊の絵馬を安置する。

釘抜地蔵(京都府京都市上京区千本通上立売上ル花車町503)
参道に高さ1mの釘抜がある。心身の苦しみを抜いてくれる苦抜地蔵がなまって、釘抜地蔵と呼ばれるようになったという。苦しみがなくなると2本の釘と釘抜きを絵馬に張り付け奉納する。地蔵堂の四方は絵馬でいっぱい。安置されている釘抜地蔵菩薩は、弘法大師が自ら石に刻んだと伝えられる。

興正寺(京都府京都市下京区堀川通七条上ル花園町70)
西本願寺南にある真宗興正派の本山。鎌倉時代の創建で室町時代には西本願寺に属したが1876年(明治9)に独立した。御影堂、阿弥陀堂などがあり、明治時代の再建。

御靈神社(上御霊神社)(京都府京都市上京区上御霊前通烏丸東入上御霊竪町495)
平安遷都にあたり、悲運の死を遂げた早良親王[さわらしんのう]の御霊を鎮めるため、桓武天皇が興したと伝わる。のちに、いずれも無念の死を遂げた井上内親王、他戸[おさべ]親王、藤原吉子ら6人と、火雷神を合祀、八所御霊[はっしょごりょう]とした。西の楼門をくぐると拝殿の奥に本殿が立ち、境内には応仁の乱発祥地の碑もある。

三条通(京都府京都市中京区三条通)
寺町通から烏丸通にかけての三条通は、赤レンガの洋館をはじめ、明治・大正期の近代建築が数多く見られ、伝統的な町家とともに独特の町並みを形成している。

紫雲山頂法寺(六角堂)(京都府京都市中京区六角通東洞院西入堂之前町248)
本堂が六角宝形造であることから六角堂と呼ばれているが、正式名は紫雲山頂法寺。いけばな発祥の地としても有名だ。本堂前には縁結びで有名な地摺り柳が植わり、その右手には六角形の丸く窪んだ石(直径約42cm)がある。京都のほぼ中心に位置していることから「へそ石」と呼ばれている。

下御霊神社(京都府京都市中京区寺町通丸太町下ル下御霊前町)
早良[さわら]親王など、非業の死を遂げた御霊八所の神を祭る。本殿は1790年(寛政2)に宮中の内侍所仮殿を移し、寺町通に面した表門は仮皇居の建礼門を移したものと伝えられている。

相国寺(京都府京都市上京区今出川通烏丸東入ル相国寺門前町701)
足利義満が1392年(明徳3)に創建。夢窓疎石を開山とし京都五山の第2位となった。創建当時は境内北の上御霊神社のあたりまで広がっていたが、応仁・文明の乱のほか度重なる火災や戦乱で焼失と復興を繰りかえした。現在、重要文化財に指定されている法堂も4度の焼失を経て、1605年豊臣秀頼の寄進をうけ5度目に再建された建物。最古にして最大といわれる法堂の天井には狩野光信筆『蟠龍図』が描かれ、真下に立って手を打つと共鳴音が響くことから『鳴き龍』として知られている。春(3月24日〜6月4日)と秋(9月15日〜12月8日)の2回の特別拝観時(拝観出来ない場合あり)には法堂、方丈、浴室を見学できる。

白峯神宮(京都府京都市上京区今出川通堀川東入ル)
幕末動乱の日々、孝明天皇は崇徳[すとく]天皇の御神威を仰がれようとしたがまもなく崩御。明治天皇は維新の礎を固めるために、父帝・孝明天皇の御意思を尊ばれて明治元年に御創建し、続いて淳仁天皇を合祀した神社。この地は蹴鞠[けまり]の宗家飛鳥井家の邸宅跡で、精大明神(蹴鞠の神)が祭られており、サッカーをはじめ、スポーツ関係者の参詣も多い。7月7日の精大明神祭(七夕祭)には「小町おどり」と「蹴鞠」が奉納される。

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